『ギリシャ語の時間』 ハン・ガン
ときどき、不思議に感じませんか。私たちの体にまぶたと唇があるということを。それが、ときには外から封じられたり中から固く閉ざされたりもするということを。私が「中動態」という概念を知ったのは、この、ハン・ガンの『ギリシャ語の […]
『スイマーズ』ジュリー・オオツカ
幼い記憶に残る街並みは、少しずつ変化して、何十年も経つと元の形のひとかけらも残っていない。あったはずの家々や、人々、営み、それらを覆い、上書きされた町に生きている。もう亡くなってしまったあの家のひと、錆びついた門、干から […]
この本は未読なのですが、飲み込めないもの(状況に対する強い怒り、理不尽な思い)を無理に飲み込もうとして、胃の中のものを全部吐いた経験があります。 精神的不調に陥った人が“ノドの違和感”(何かが詰まった感じ、飲み込みにくさ)を訴えられることがわりとあるのですが、何かを食べる/飲むということは象徴的な行為でもあるのだなとあらためて考えさせられます。 翻って、たくさんの幸せな“食”の記憶が私たちの心の糧になることもあるのだろうな、とも。
危機的状況に陥ると、食べることをストップして自分の心と身体をフリーズさせてしまうのかもしれません。 同じくハン・ガンの『涙の箱』という大人の童話には、涙を流すことをストップさせて生きてきたおじいさんがいます。 生存を維持するための防衛本能とでもいうべきものでしょうか。 歪だと言えばそう。 だから苦しんでいる。 同化はできないだろうし、しなくてもいい。 ただ、隣人であれたらと思います。 大変なことでしたね。 その時のせつこさん、抱きしめてあげたいです。