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考えるとは、安易な答えに甘んじることなく、揺れ動く心で、問いを生きてみることだ。真に考えるために人は、勇気を必要とする。考えることを奪われた人間はしばしば、内なる勇気を見失う。私たちは今、武力を誇示するような勇ましさとはまったく異なる、内に秘めた叡智の働きを呼び覚まさなくてはならない。
ー悲しみの秘儀「7 勇気とは何か」 若松英輔
★時々、読み返す本
本棚から時々、取り出して、パラパラと読み返したくなる本があって、その中に若松英輔さんの「悲しみの秘儀」という一冊があります。前回、ご紹介した「涙の箱」同様、この本も装丁が美しい本。また装丁が美しいだけでなく、若松さんの書く文章が質量を伴った美しい文章なのです。
冒頭でご紹介した文章を読んで、いまのAI時代のことを示唆しているように感じる人がいらっしゃるかもしれません。自分ではその問いの重さも奥行きも測ることなく、AIに質問を投げて、それらしい答えを手にして、分かったような気になる…冒頭の文章を読むと、そんな私自身に活を入れられたような気持ちにもなります。
★考えることと勇気
考えることと勇気の関係について、あまり考えたことがなかったのですが、たしかに何かについて踏み込んで考えようとする時、そこには勇気が必要だという気がします。若松さんの言う<揺れ動く心で、問いを生きてみる>ことは、おそらく<自分とともにいる>ことなんだろうと思うんです。これがね、けっこう勇気がいるという…ね。
私たちは自分とともにいることが実はとても苦手なんじゃないかなと思うんですね。だからどうにか逃れようとする、無意識に。ある時は通販サイトや動画サイトをだらだら観ることで、ある時は浴びるようにお酒を吞むことで、ある時は過去の後悔や未来への不安で心を埋めることで、自分の外見をどうにか整えようとすることで…どうにか今を先送りにする。
私は子どもの頃から本の世界に逃げ込むことでかろうじて呼吸を整えてきたので、ひとのことは言えません。それに四六時中<問いを生きる>ことは、それはそれでしんどいですしね。心を逃がしたっていいと思うんです。
だからこそ、あえて若松さんは<生きてみる>という表現、つまり<意識的にやってみる>というある種の挑戦を含んだ表現を使っておられるのかもしれませんね。
★正解のない問い
世界は正解のない問いで満ちています。時々、私はここで家族の話を書いていますが、離れて暮らす家族との距離感-これもまた正解のないことです。
先日も高齢の母が倒れるといったアクシデントが起きました。そういう突発的で急を要する状況で必要とされることって、誰が見ても明白で『まずはできるだけ早く駆けつける』ことですよね。これは分かりやすいです。
その後、状況が変化していく中での継続的なケアについては『ケース・バイ・ケース』になっていきます。実はこの『ケース・バイ・ケース』こそが難しく、安心できる答えがほしい。
でもね、AIに詳細な状況を伝えて、自分がどう振る舞うべきかを相談して“それらしい答え”をもらったとしても、それは私にとって、私たちにとっての正解なのか?とも思うんです。だって、こういう問いの答えってつねに揺らぎ続けているし、“ある状況を切り取った問い”に対する答えは“その時のそれっぽい答え”でしかないからです。
それに家族って難しいですよね。それまでに培った関係や記憶、歴史がそれこそ整理されていない部屋のごとくうず高く積まれていて、当人たちにも何がどこにあるのかよく分かっていない状態なんですから。そのカオスな部屋に難しい問いが降ってきても、どうしたらいいのか分からない。ましてやAIには手に負えない。
★AIのイイところ
一方でこういうことをAIに相談するのも悪くない、とも思うんですね。インターネットが登場するまでは、こういうことを親戚とか友人とかに相談してたと思うんですけど、ロクな答えが返ってこないことも多かったですからね(笑)。
良くも悪くもAIは利害関係のない第三者です。感情も伴わない(感情が伴っている風に装うことはできても、基本的には利害も感情もありません)。だから聞き入れてもいいし、聞き捨ててもいいし、そこから誰かに広まる心配もないです。
それに時に自分では思いつかなかったような視点からアドバイスをしてくれることもあります。知らなかった情報を得ることで、家族のSOSについて制度やサポートの利用といった選択肢が登場することもあります。だからAIに一緒に考えてもらうこと自体は悪いことではないと思うんです。
★考えることを奪われた人間はしばしば、内なる勇気を見失う
いつの時代もそうですが、私たちは無意識に『正解』を希求しています。『考えること』よりもずっと強く『正解』を欲しているのです。だから簡単に考えることを投げ出してします。でも、安易に答えに飛びつくと、内なる勇気を見失ってしまう。そして、時に自分を見失ってしまう。
だからこそ、少し踏みとどまって<自分とともにいる>時間を大切にしたいとも思うんです。
誰かに答えを求める前に自分でちゃん考える
あるいは誰かに答えを求めつつも、自分でちゃんと考える
私は何がしたくて、何がしたくないのか、何を優先したいのか、どうすれば後悔しないのか、どうすれば自分に背くことにならないのか、どうすれば自分を大切にできるのか。
相手を主語にして考える前に、自分に問うてみる。
『AIがくれた答えのどの部分に納得して、どこが気に入らないのか』を点検しながらでもいいので、つぶさに自分の内側を見ようとすること。自分の内側に分け入ること。
それが簡単ではないと知っているからこそ、若松さんは<真に考えるために人は、勇気を必要とする>と言っている、そんな気がします。
冒頭でご紹介した文章は次のように続いています。
勇気を出す、勇気を振り絞るという。こうした表現は、勇気とは誰かに与えられるものではなく、すでに万人の心中に宿っている事実を暗示している。(若松英輔)
AIの活用方法だけでなく、こういったことも併せて子どもたちに伝えていきたい、そう思わせてくれる美しい文章です。美しく、羅針盤になるような文章を自分の内側にたくさんストックして、揺れ動きながらも自分でちゃんと考えられる人になりたいです。
※悲しみの秘儀:若松英輔,ナナロク社.2015 https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784904292655
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