『ギリシャ語の時間』 ハン・ガン
ときどき、不思議に感じませんか。私たちの体にまぶたと唇があるということを。それが、ときには外から封じられたり中から固く閉ざされたりもするということを。私が「中動態」という概念を知ったのは、この、ハン・ガンの『ギリシャ語の […]
『スイマーズ』ジュリー・オオツカ
幼い記憶に残る街並みは、少しずつ変化して、何十年も経つと元の形のひとかけらも残っていない。あったはずの家々や、人々、営み、それらを覆い、上書きされた町に生きている。もう亡くなってしまったあの家のひと、錆びついた門、干から […]
『菜食主義者』 ハン・ガン
暴力に抗うことすらできずに、その力の及ばざる場所でそれでもなお生きようとした時、究極、人は植物になるのやも。生きることそのものの「原罪」を問われているようだ。この身体に、何がしかの生命が犠牲になって注がれるおぞましさ。ひ […]
りつこさん、胸の奥に届く文章をありがとうございます。 エゴも、祈りも、偽善も、献身も、逡巡も、清さも、すべて自分を構成しているパーツで そのパーツには、ほんとうは「良い」も「悪い」もないのかもしれない。 読んでいて、そんな風に思いました。 そのすべてのパーツ込みで生きる私たちは「完璧じゃないけれど、愛し愛されるに十分な存在」なんだ、と。 りつこさんのように目地がこまかく繊細なフィルターがあれば、フィルターの向こうに届くものはきっとあたたかく、清いものになるんだろうなぁと思います。 とくに最後の二行、素敵です♪
今、歳をとったから見えるもの、感じること。 それはちょっとゆるゆるい感じなんです。 若さって厳しい。厳しかった。 完璧じゃなくていいよって、ハグしてあげたい気分です。
たまたま、電車の中で投稿を読ませてもらったんです。涙がこみあげてきて、思わず下を向きながら、そのあと2回読み直しました。 反芻しながらも、思いが言葉にできず、もどかしい思いをしていたら、せつこさんのコメントが入って、またまた胸が熱くなって。 人生に向き合うために大切なものをたくさん。 ありがとうございます。
時間が経ってから、より鮮明に見えてくることってありますよね。 至らなかったことがたくさんなのだけど、それも含めて今があるのかなぁと、思ったりしてます。 こちらこそです。なんなん店長^ ^
学生の頃、親共が酔ってふざけて日常的に使ってた悪いコトバを、教師に向かって大声で放ち、学校中がパニックになるような大問題になりました。同和教育が盛んな学校でした。 自分の口から発したコトバが、誰かを傷付け、失望させ、悲しませてしまう。その事によって、それを知らなかったひとにまでその事が伝播し、皆が大切に積み上げて来たものを、「知らなかった」そのことだけで大きく後退させてしまう… その事について、誰も僕を個人的には責めなかったけど、申し訳なくて情けなくて悲しくて、傷ついた人がいるなら全員のところに行って土下座して謝りたかった。 そうした幾つかのどうしようもない失敗や、回収しようのない後ろめたさは今でも僕のなかに燻り続け、やはり時折すごく真っ暗な闇のなかから〝忘れんなよ〟って首をもたげてきます。 犯した罪によって生まれたその逡巡が、自己を育ててくれたというのは(傷つけた相手がいるのにとは思いつつも)紛れもなく本当で、りつこさんのとはまるで質が異なり「利他」とのテーマともズレますが、それでも生きていかなきゃって続きのなかで、せめて何らかのカタチで〝贖罪〟できないかと、図々しくも思っています。
後悔のある人生。 思い通りに行かなかった人生。 でも、それも自己と激しく戦った、豊かな人生なのだと思います。 いつのまにか人生も後半になり、時間は無限ではないと気づく時、限られた時間の使い道は自ずと”贖罪”めいたものになるのかもしれませんね。