心という宇宙を見つめる — 手塚治虫『ブッダ』第3巻を読んで
『ブッダ』第3巻を読み終えたとき、僕の中に残ったのは「どんなに優れた人でも、未熟な部分や課題は常にあるんだろうな」という、どこか安心にも似た感覚でした。シッダルタ(若き日のブッダ)が苦しみ、迷い、死を恐れながらも、その奥 […]
手塚治虫『ブッダ』を読みながら、人の死ついて考えてみた
死は悲しいものではないのかもしれない…それでも僕は、悲しまなかった 今回、『ブッダ』第2巻を読み心の奥にいつまでも残っていたのは、少年シッダルタ(幼き日のブッダ)の「死にたくない」という叫びでした。「生きたい!」「死にた […]
手塚治虫『ブッダ』を読む 僕の旅のはじまり
〜「悟り」は遠くではなく、認識という身近なとこにあるもの〜僕は、手塚治虫の『ブッダ』を手に取ることにしました。なぜなら僕は以前から、「悟り」という言葉に興味を持っているからです。生きることの痛みや苦しさ。思うようにならな […]
こんにちは。 今の日本では「勝負」とか「戦い」、「弱肉強食」といったものが戦争を連想させるためか、表立ったところでは忌避される傾向がありますが、私は「効率主義」、「能率主義」にも同じ匂いを感じるんですよね。「相手をモノのように扱う」、「弱さや痛みを切り捨てる」、「繊細さや迷いを邪魔ものとする」あたり…。 効率主義や能率主義は経済的な恩恵をもたらすので、むしろ歓迎される向きもありますが、つまるところ「勝負」、「戦い」、「弱肉強食」を現代風にやんわりと言い換えているに過ぎないのでは?とも思えるのです。 とはいえ、効率や能率と無関係に生きていくのは難しいのですが、そういうものに飲み込まれないようにしたいな、と思います。