傾斜
歳をとるのは素敵なことですそうじゃないですか?忘れっぽいのは素敵なことです そうじゃないですか?悲しい記憶の数ばかり飽和の量より増えたなら忘れるよりほかないじゃありませんかと歌ったのは中島みゆき。高校生の頃、お小遣いをた […]
利他のフィルター
人生は安寧でなどあるはずがない。 疑り深くそして非力であった私は、澄んだ瞳で健やかに笑う我が子を前に、それでも、何としてもこの子と、この世界にしがみつきたいと思いはじめた。 この安寧を、幸せを、どうしたら守れるのだろうか […]
はとぶえ
いつの頃からか自覚している。思考に段落をつけるように常に頭の中で文章化する癖。ああ。そういえば。あの、はとぶえ(※)コンクール。「よる」よるわたしがねているとおとうさんとおかあさんがかわいいかわいいといってふとんをかけま […]
この本は未読なのですが、飲み込めないもの(状況に対する強い怒り、理不尽な思い)を無理に飲み込もうとして、胃の中のものを全部吐いた経験があります。 精神的不調に陥った人が“ノドの違和感”(何かが詰まった感じ、飲み込みにくさ)を訴えられることがわりとあるのですが、何かを食べる/飲むということは象徴的な行為でもあるのだなとあらためて考えさせられます。 翻って、たくさんの幸せな“食”の記憶が私たちの心の糧になることもあるのだろうな、とも。
危機的状況に陥ると、食べることをストップして自分の心と身体をフリーズさせてしまうのかもしれません。 同じくハン・ガンの『涙の箱』という大人の童話には、涙を流すことをストップさせて生きてきたおじいさんがいます。 生存を維持するための防衛本能とでもいうべきものでしょうか。 歪だと言えばそう。 だから苦しんでいる。 同化はできないだろうし、しなくてもいい。 ただ、隣人であれたらと思います。 大変なことでしたね。 その時のせつこさん、抱きしめてあげたいです。