「“ある”を感じる」ことが「引き寄せの法則」の真理
皆様は「引き寄せの法則」という言葉を聞いたことはありますでしょうか。スピリチュアル界隈でよく使われる概念ということもあり、賛否や好みが分かれる分野かと思います。わたしはこの概念に興味はあったものの、数年前までは本当に「引 […]
「陰キャラ」だったわたしが「可愛い」と言われるまで
目立ちたくない。華やかな人が怖い。わたしと友達になってくれる人なんて少ない。可愛いものなんてわたしには似合わない。わたしは綺麗にはなれない。わたしはそんな高校生でした。自分のことを好きになれなかった。本当は可愛いものが好 […]
「愛」だと信じて疑ってなかったことが、じつは「執着」だった、というのはままあるような。 (心当たりありw) 「この世で起きている全ての出来事は、事実としてではなく、解釈をとおして個人の中に取り込まれていく。」この一文、すごく納得です。 親子、家族、友人、恋人などなど。 対峙する者の認識のズレ(解釈のズレ)が、関係性に大きな影響をあたえるというのは、本や映画にもよくあること。 古今東西に共通するモチーフなんですね…
自分が大切にしたり、手をかけ愛おしく思っているものを、軽んじられたり破壊されたりすると悲しい気持ちになりますよね。めっちゃよくわかります。 僕はひとからよく「執着がない」って言われるんですが、悲しい気持ちになるのをあらかじめ避けて「執着しないようにしてる」節があるって気がします。 僕の場合だと、大切にしてるもののなかには3人の子どもたちや、自分が創り育ててきた小さな事業などがあります。 自分が生み育てたといっても(見守りはするし手をかけ続ける覚悟はしてても)いつまでも「自分だけのもの」としておくことは出来ない性質のもので。なので出来るだけ早い段階から執着しないよう〝よそ見〟をするよう心がけてきました。 それが「愛」なのかどうかはわかりませんが、少なくとも相手のことを「信頼」しています。やれることはやってきたし、これからもずっとやっていく。そのうえで手を離し、自分の愛した相手を、物事を「信頼する」みたいなことかと。 「冷たい」とか「薄情」みたいに言われることもあるけどね。それこそ「愛」の持ち方はひとそれぞれなんじゃないかなぁって思っています。