相容れない存在から見つめ直す世界ー手塚治虫『ブッダ』第4巻を読んで
『ブッダ』4巻を読み終えて僕の中に一番強く残ったのは、「今の在り方から、新しい在り方へと歩み出さざるをえない瞬間」が、何度も何度も描かれていることでした。物語の中心にいるのは、のちにブッダと呼ばれることになる若き王子シッ […]
心という宇宙を見つめる — 手塚治虫『ブッダ』第3巻を読んで
『ブッダ』第3巻を読み終えたとき、僕の中に残ったのは「どんなに優れた人でも、未熟な部分や課題は常にあるんだろうな」という、どこか安心にも似た感覚でした。シッダルタ(若き日のブッダ)が苦しみ、迷い、死を恐れながらも、その奥 […]
手塚治虫『ブッダ』を読みながら、人の死ついて考えてみた
死は悲しいものではないのかもしれない…それでも僕は、悲しまなかった 今回、『ブッダ』第2巻を読み心の奥にいつまでも残っていたのは、少年シッダルタ(幼き日のブッダ)の「死にたくない」という叫びでした。「生きたい!」「死にた […]
ばんびさんの投稿で「認識のズレ」について考えた時、宗吾さんのこの投稿を思い出しました。 「出来事そのものではなく、それにどんな意味を見出すのか。」 出来事そのものに囚われて、意味を見出すのを恐れていたことがあります。「恐れ」が私の認識なのかもしれないけれど。 宗吾さんの文章が、言葉のひとつひとつが腑に落ちて、スッと頭に入ってきました。 ここ数日、頭の中にあった言葉達が、全て繋がってまとまった感じです。 月日が経ち、私の認識を通して出来事を受け止めようと思えてきました。 宗吾さんが言われるように、結論を急ぐのではなく、穏やかな心で丁寧に問い続けたい。 考え続けることを続けていきたいと思いました。
同じ出来事でも過去の自分の認識と、今の自分の認識もズレていことがほとんど… 出来事には本来意味がなく、私たちがそこに認識という色を好きに塗っているだけなら、変わらない色や決められた色なんてものもないんだろうと思います。 今の私が今持っている認識が、ただあるだけ… その認識が変わることを面白がって眺めていたいなと、僕も思います。