1ミリを肯定する“お店番”
シェア型書店HONBAKO堺本店には棚を借りている箱主さんがお店番ができるという制度があって、私は定期的に“お店番”をさせてもらっています。今日はそんな“お店番”について書いてみたいと思います。【“好き”を開く場、“好 […]
天日干しシリーズ~その6 鳥と船乗り~
鳥と船乗り船乗りが置いていった かごの中の鳥はまだ小さいのに しゃがれた声でよく鳴いたその鳴き声が珍しいとウワサがウワサを呼んで毎日、かごの周りは人だかりひと声鳴くたびに「こんなしゃがれた声は聞いたことがない」と誰かが言 […]
読読本シリーズ~その1 世界はそれをAIと呼ぶんだぜ~
棒棒鶏みたいなシリーズ名ですみません。そして、次から次へと勝手にシリーズを作ってすみません、拡げっぱなしで。諸々、先に謝っておきます。あ、ちなみに私が勝手に始めたシリーズはもしどなたかが入って来たくなったら、いつでも参入 […]
天日干しシリーズ ~その5 アムリタ~
アムリタあなたは ひとりぼっちだから孤独なのではないあなたには あなたにしか分からない記憶と経験があるから 孤独なのだあなたは 孤独だから不幸なのではないあなただけが 知っている記憶と経験の意味にたどり着けずにいるから […]
すべてのクリスマスの夜に
ありふれた 少女の願いは叶わねど 瞳には星 背中には花ー土門蘭 100年後あなたもわたしもいない日に★サンタクロースへの手紙 クリスマスの前後にいつも思い出すプレゼントがあります。それは小学3年生の頃にサンタクロース […]
天日干しシリーズ:その4 今朝の夢と小さなヤモリ
小さなヤモリ 夏の暑い盛りのベランダで一匹の小さなヤモリがひっそりと息を引き取っていました。 洗濯物を干すのに、邪魔になるところでもなかったのでそのまま放置していたらそれはとうとう漢方薬のごとくカラカラに干からびてしまい […]
天日干しシリーズ~その3 いつか“どうでもいいこと”になる~
「踊るんだよ」羊男は言った。「音楽の鳴っている間はとにかく踊り続けるんだ」ーダンス・ダンス・ダンス 村上春樹 ◆フォークダンスの夜 皆さんは学生時代、フォークダンスってやりましたか?私が学生の頃は、イベントのフィナーレに […]
ケアのバトン ~その6 旅は道連れ、世は情け~
「旅は道連れ、世は情け」という言葉は、旅は同行者がいることで安心できることから、世の中を渡っていくためには、人々が協力し合い助け合うことが大切だといった意味で使われます。(中略)「孤軍奮闘(こぐんふんとう)」とは「誰に […]
天日干しシリーズ~その2 きみは勇者~
ひとりだと感じたときあなたはずっと探していた素朴な言葉に出会う (若松英輔)※1★気になる少年 よく見かけるけど、名前も何も知らない人のことが、妙に気にかかることってありませんか?そんな少年が一人いて、すれ違う度に心 […]
天日干しシリーズ その1:けもの
このHONBAKO salonでは、投稿する時に文章を書くスペースに「詩」と出てきますよね。以前からちょっと不思議だなと思っていたのですが、それに触発されたのか、昔(15年くらい前に)書いていた詩のデータを掘り起こして […]
世界や視野が極めて狭い(と見えていた)母の過干渉「そんなことでは大変なことになる」「あんたのため」から、幼い頃は逃げ出すことに、少し成長してからはそうじゃない証明に囚われました。 その反動かわかりませんが、おとなになった自分は「自分が好きでやってるだけ」に囚われ過ぎてる気もします。 「利他」に及ぶ過程の「内発性」や、先日やまさきさんに教わった「中動態」みたいなことを思うたびに、その〝逆張り〟を前提にしたような自分の態度(というよりもうすっかり身についてしまってるもの)に、すこしの違和感を感じるのもまた事実で。 なんか〝本来あるべき影〟を、ずっと若い時分に鋭利なナイフを使ってすっぱり切り離してしまったような心許なさがあります。人生ってままならないですね。
まきたさん、コメントありがとうございます。 親と自分とは違う…当たり前のことなのですが、これって関係が近いと見失いがちですよね。 親の押しつけや過干渉、一方的な庇護から逃げ出すことを「自立」というのかもしれません。 一方で、その反動への囚われから解放されることを「自律」と呼ぶのかもしれない。 いただいたコメントを読んで、そんなことを思いました。 本来あるべき影…今朝の中道さんの投稿を読んだ影響もあって、どうしても「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」を連想してしまいますが(笑)、 真に大人になるということは いつか切り離したあの日の“影”との邂逅と融和を受け入れるプロセスそのものなのかもしれませんね。
亡くなった父のことを思い出さずにいられません。思いあたることが沢山あって🥲 晩年、「父のため」と言いながらやっていた利便性や効率的な段取りをすることよりも、父が何より求めていたのは寄り添うことだったのだと胸が痛くなります。 そして、息子との関係性を思い返さずにはいられません。「息子のため」と思ってやっていたことは、私の勝手な「いい母親像」に準えた過干渉であったと、いまではわかるのです。 自分の在り方について考えるようになったのは、りつこさんやせつこさんのsalonの投稿の影響がとても大きいと感じています。 人生って、本来あるべき影を切り離したり、探しだしたり、調整したり。そんなプロセスを経ながら、自分の在り方を手探りしているんですね、きっと。
なんなんさんからいただいたコメントを読んで「新しい自分になる」というワードがふと思い浮かびました。大人になっても、いくつになっても新しい自分になれる。それって素敵なことですよね。 新しい自分の目から見ると、過去のA地点の私もB地点の私も「何やってんだか」と言いたくなる。そして、時々「がんばれよ」と声をかけたくなる。 なぜなら、今の自分に見えているものがA地点やB地点にいる私には見えていないから。 新しい自分になるには、脱皮の恐怖と成長痛がつきもので、やっぱり胸や心が痛むんですよね。 それでも人は前を向いて、何度でも新しい自分になるんです。 それってやっぱり素敵なことなんだって、私は思います。