ケアのバトン ~その5 怪物と青い鳥~
幸福は人格である。ひとが外套を脱ぎすてるようにいつでも気楽にほかの幸福は脱ぎすてることのできる者が最も幸福な人である。しかし真の幸福は、彼はこれを捨て去らないし、捨て去ることもできない。彼の幸福は彼の生命と同じように彼自 […]
ケアのバトン ~その4 ワレワレハ 異星人ナノダ~
家にいても、学校にいても、どこにいても何か馴染まずうすら寂しいのは、自分が違う星から来た生き物だからなのだろう。だから、自分を受け入れてくれる人の中にいても、心から「ここにいていい」と信じることができないのかもしれない。 […]
HONBAKO堺とスキップ
今にも降り出しそうな空の下、JR百舌鳥駅で電車を降りる。HONBAKOまでの道のりを歩くために。 ふと目をやると、通りの向こうで二人の女性がボランティアガイドに道を尋ねていた。『HONBAKOを探しているなら、案内する […]
ケアのバトン ~その3 「分からない」って言ってもいいですか~
どうしても私たちは「予測できる」という前提で相手と関わってしまいがちです。「思い」が「支配」になりやすいのです。利他的な行動をとる時には、とくにそのことに気をつける必要があります。 そのためにできることは、相手の言葉や […]
HONBAKO北堀江とコーヒー
ちょっと出かけるついでがあったので、前から行きたかったHONBAKO北堀江に行ってきました!店長なっちゃんの笑顔に出迎えてもらって、本箱を一つひとつ見せていただきました。いろいろとお話を聞かせてもらっている時に、箱主さん […]
ケアのバトン ~その2 トイレットペーパーは生えてこない~
環境はうまくいっているときには忘れられて、失敗したときにだけ思い出される。親というものが子どもから感謝されないのはそのせいです。-「雨の日の心理学」東畑開人※1★誰も感謝してくれない 「私がやっていることは当たり前になり […]
ケアのバトン ~その1 生成AIに相談する時代~
皆さん、こんにちは。HONBAKO堺本店で<ここすこ文庫>の箱主をしている山崎勢津子です。<ここすこ文庫>ではおもにケアやメンタルヘルス関連の本を並べています。こちらでは『ケアのバトン』というタイトルで、身 […]
世界や視野が極めて狭い(と見えていた)母の過干渉「そんなことでは大変なことになる」「あんたのため」から、幼い頃は逃げ出すことに、少し成長してからはそうじゃない証明に囚われました。 その反動かわかりませんが、おとなになった自分は「自分が好きでやってるだけ」に囚われ過ぎてる気もします。 「利他」に及ぶ過程の「内発性」や、先日やまさきさんに教わった「中動態」みたいなことを思うたびに、その〝逆張り〟を前提にしたような自分の態度(というよりもうすっかり身についてしまってるもの)に、すこしの違和感を感じるのもまた事実で。 なんか〝本来あるべき影〟を、ずっと若い時分に鋭利なナイフを使ってすっぱり切り離してしまったような心許なさがあります。人生ってままならないですね。
まきたさん、コメントありがとうございます。 親と自分とは違う…当たり前のことなのですが、これって関係が近いと見失いがちですよね。 親の押しつけや過干渉、一方的な庇護から逃げ出すことを「自立」というのかもしれません。 一方で、その反動への囚われから解放されることを「自律」と呼ぶのかもしれない。 いただいたコメントを読んで、そんなことを思いました。 本来あるべき影…今朝の中道さんの投稿を読んだ影響もあって、どうしても「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」を連想してしまいますが(笑)、 真に大人になるということは いつか切り離したあの日の“影”との邂逅と融和を受け入れるプロセスそのものなのかもしれませんね。
亡くなった父のことを思い出さずにいられません。思いあたることが沢山あって🥲 晩年、「父のため」と言いながらやっていた利便性や効率的な段取りをすることよりも、父が何より求めていたのは寄り添うことだったのだと胸が痛くなります。 そして、息子との関係性を思い返さずにはいられません。「息子のため」と思ってやっていたことは、私の勝手な「いい母親像」に準えた過干渉であったと、いまではわかるのです。 自分の在り方について考えるようになったのは、りつこさんやせつこさんのsalonの投稿の影響がとても大きいと感じています。 人生って、本来あるべき影を切り離したり、探しだしたり、調整したり。そんなプロセスを経ながら、自分の在り方を手探りしているんですね、きっと。
なんなんさんからいただいたコメントを読んで「新しい自分になる」というワードがふと思い浮かびました。大人になっても、いくつになっても新しい自分になれる。それって素敵なことですよね。 新しい自分の目から見ると、過去のA地点の私もB地点の私も「何やってんだか」と言いたくなる。そして、時々「がんばれよ」と声をかけたくなる。 なぜなら、今の自分に見えているものがA地点やB地点にいる私には見えていないから。 新しい自分になるには、脱皮の恐怖と成長痛がつきもので、やっぱり胸や心が痛むんですよね。 それでも人は前を向いて、何度でも新しい自分になるんです。 それってやっぱり素敵なことなんだって、私は思います。